日記の効用

 日記などで文章を毎日つけるの良いことである。というのも日々の行為というのは結構決まったことの繰り返しであるが、それを改めて文章にすることで意識的にも無意識的にも日々の行動に変化が見られたからである。わたしの場合だと珈琲の淹れかたが格段に巧くなったことである。文章というものをただの備忘録だと考えたことはないが、リアルタイムで刻々と変化するような動的な作業に活かすことはあまり考えていなかった。それは対話であればこちらが意図することを相手が汲み取ってくれるので返答に幅があるが、文字が語ることばは幅が少なく融通が利かない気がしていたからである。
 しかし今回の場合は作業の手順や周辺の知識を一度書いてみることがよかったようである。作業をしていると文章化したときのポイントが頭にふと浮かんで、あたかも頭の中の理想像に現実をなぞらせるように、スムーズに手を動かせるようになったのである。


 カフカについての評論をもう一度読む。


 何か色々考えた。


 昨日、おとといの自分の文章は恐ろしくまずかったが、またこの評論に対して考えたことを書いてみようと思う。いつか珈琲のときのようにあるときにすっと自分の言いたかったことが言えるようになるかも知れない。