抜粋

わたしのばあい日記というものの機能は大雑把に三つあるような気がする。一つめは一日を振り返る機能、二つめは何か考えをまとめる場、最後の一つは他人の文章の抜粋をするところである。きょうは三つ目の抜粋をしてみよう。


『大いなる希望の重みから、ねえ君、ぼくは転落していったのだ・・・事物を秩序づける原因を知性に秩序帰することもなく、空気とかアイテールとか水とか、そのほかたくさんのくだらないものを原因としていたのだよ。・・・ソクラテスはそのすべての行為を知性によっておこなうと言っておきながら、・・・ぼくがいまここに座っている原因については、まず、ぼくの肉体が骨と腱からできていて・・・腱を弛めたり縮めたりして、ぼくはいま肢を曲げることができ、そしてこの原因によって、ぼくはここにこうして膝を曲げて座っているのだと・・・その他、無数のそのような原因をだして、真の原因を語ろうとはしないのだ。
真の原因とは、すなわち、アテナイの人たちがぼくに有罪の判決を下すのを善しとし、それゆえぼくのほうもここに座っているのを善しとし、とどまって彼らの罰を受けるのがより正しいと思ったという、このことなのだ。・・・ぼくが行為するのは――しかも知性によって行為するのであるのに――そのようなもののゆえであって、最善のものを選んではないというのなら、それはまったくもって、いいかげんな議論というべきであろう。』
(プラトンパイドン』)
 
抜粋の理由、後段の国家観がヘーゲルの国家観と似ていると思った。「国家の意思決定≒善」とよみ取れるところである。現在の国家観は国家への不信や裁判への不信から憲法が国家権力を抑制する方に傾いているが、今一度絶対的な知性が国家に備わって、しかも個人の知性もその意思に内包される可能性を、時間があるときに比較してみよう。