商店街の買い物

お金のすごいところは徹底した兌換性である。わたしが今持っている百円と、誰かが今持っている百円の価値は等しい。ゆえに誰かの百円と私の百円を交換してもお金としても価値は変わらない。
ところで、私が商店街で買い物をしていたときに払っていたのはお金である。しかし売り手から買っていたものは商品であった。お金と違い商品では価値が刻々と変わっていく、というのも商品、特に生鮮食品では商品の価値が下がるのが早い、一方お金は腐らない。ここの差異に商店街の人が食品を分けてくれた理由があるような気がする。
売り手からすると明日になれば、鶏肉は生では売らず「から揚げ」にするしかない。賞味期限の切れた発泡酒を売るわけにはいかない。魚はすぐにでも駄目になってしまう。このような状況でどうせ早晩商品価値のなくなってしまうものを、適度に商品の価値を認めてくれる珍しい買い手がいるのでおまけとしてあげてもいいかな、と思ってくれていたのではないだろうか。
書いてみるとスーパーの夕方値引きと同じ理屈でつまらないが、商店街の人のやさしさが「おまけ」には加味されていたので今ではよい思いでである。