明治の外交官

 『一外交官の見た明治維新』(アーネスト・サトウ著)を
寝る前に読んでいる。
 著者はイギリスの外交官で大英帝国が充実していた1862年から
1882年まで日本に滞在しており、
その時の日本を外交官の目から綴ったものである。


 この本を読もうと思ったきっかけは「日本を知りたければ外国に行け」
という言葉を前に聞いたことがあり、これは外国のメディアの方が
「しがらみが無いから冷静に見れるよ」という意味に解釈している。
 それならば外国の人が日本に滞在したときに
どういう感想を持つのかが気になったからである。
さらに時代が幕末、明治維新なのだから俄然興味がわく。


 戦前の日本では戦争が激化する中で、この本は発禁処分になり
なんとか出せた訳書もかなりの部分を削られて、
尚且つアカデミックにしか流れなかったそうである。
 という訳でどこら辺が検閲に引っかかったのか
この前掃除で見つけた尋常小学校6年生の歴史書と見比べ
ながら読んだら楽しそうだなと思った。(時間があればの話ではあるが)

 
 上に挙げた二点とは関係は薄いが著者の冷静な人格が
顕れていて面白いと思ったところを抜粋してみる。
 

 抜粋
 二ール大佐の身長は普通のイギリス人よりもずっと低く、
半白の口髭をはやし、額の辺りに薄い一つかみの白髪が
たれていた。気むずかしく、疑り深い性質だった。その政治
手腕については格別言うべきこともないが、作成した公文書が
まことに明快、巧妙、辛辣にできているにもかかわらず、彼には
自分の置かれている環境に明察がなかった。
 これは、弁舌の力や筆の力が、事件の処理に関する
適不適を計る尺度にはならぬという一つの例証となるだろう。


 と、実務を計る尺度を自分なりに持っている人で
日本の歴史や、明治の風俗もテキパキと小気味の良い
例証と分析で進められていてテンポのよい文章である。


 またこの抜粋の文章を見たときに思い出したのは
中国の春秋時代呉越同舟で有名な呉の国の君主
夫差が臥薪嘗胆までして父親の敵を打ったのにそののち驕ってしまい、
配下の進言を言葉巧みな詭弁でいなしているうちに
今度は倒した越王の息子である勾銭にやられてしまった話である。


 どちらも昔の話ではあるが、詭弁でその場を切り抜けても
本当に切り抜けられるものではないな、と思った。

 
 かなり本の話からずれてしまったが、
面白いので機会のある方は是非どうぞ。