日記とか

 昨日入院した祖父が帰ってきた。持病の対処として打った注射が効き過ぎたらしい、なにはともあれほっとした。しかしまだまだ本調子ではないので明日別の病院に入院している祖母への届け物を請け負うことにした。


 比喩ってなんだろうと前々から考えていたのだが、やはり比喩でしか表現できないものを顕すのが比喩だと思う。文字自体も比喩なのだけどこれは一応記号ということにしておいて考えてみる。
 実際の目に見える世界の名詞は実物に付与されていていると仮定して、それらの性質や作用(述語)も実際的で捉えられるものだと更に仮定すると
「赤い(性質)花瓶(名詞)は落ちる(作用)」という文の場合だと記号と名詞などの意味がわかっていれば大体の人は納得してくれると思う。なるほど「赤い花瓶が落ちた」のだな、と。


 しかしその花瓶が落ちたときの人間の心理などは人によって様々で、こういった場合に比喩は有効だと考えている。例えば落ちる瞬間がとても長く感じる人や短く感じる人がいると思う。そのときにそれが無限のようにに感じたとか刹那に感じたとか、実際には無限とかは経験できないけれど何故か存在している、既存の言葉に置き換えたり、また長く感じたことを「絞首台への階段を一歩一歩登るように感じた」などにするとじれったいけれど破滅(花瓶が割れる)の時が確実に近づいていると感じているのだな、この赤い花瓶が落ちている情景を見ている人はという風に考えられる。


 私は比喩によって形而下に置けない物事を他の言葉に置き換えたほうが、説得力があるとか伝わり易い場合などの場合に比喩は使うものだと考えている。
 それが名詞、性質、作用などが既存の言葉に収まらない場合も比喩で顕しもいいのかも知れないが、ときどき比喩のために比喩をするという人がいてなんでも比喩にしてしまい何が言いたかったの結局判らないときがあって、そういう文章は好悪で割り切ると私は嫌いである。
とまあ、ここまで書いたが自分にいくらでも突っ込み入れられる文章なのでまいった。


 もう少し書いてみたい気もするが、勉強のきりが悪いのでもう少し勉強をやることにする。