散歩とか

 気がつくと、朝起きてから寝るまでずっと机の前に座って勉強をしている。ご飯を食べている間も勉強の役に立ちそうなドキュメンタリーや評論の録画をを見ている。あまつさえトイレで新聞を読んでいる。
なので時折、弟が「今週の『アリア』と『パニポニダッシュ』は面白かったので早く見ろ」と催促されて見るアニメは一日の触れている他のメディアと趣が違うので、最初は見方の調子がわからないが、段々と慣れていくと面白く視聴できるので不思議だ。
それはさておき『アリア』はいいなぁ。


夜中のステレッチのあとに散歩に出かけている。きょうは曇りであったが、月の周りだけきれいに切り取られたように雲がなく、邪魔ものなくゆうゆうと満月が輝いていた。この時期の満月は特に光が強く、周りの雲が月光に映し出され濃淡がはっきりととしていて、白黒写真のようでよかった。
散歩の帰りに昔飼っていた犬の墓に参った。なんのことはない、おにぎり型の石が墓石である。この石が墓石なのも忘れない人がいるからで、忘れられてはただの石なのだなと思いながら手を合わせていた。
手を合わせた後にこんな話を思いだした、田山花袋の小説に「両親を覚えている兄妹がいるうちはいいが、その兄妹以外には親族はおらずいずれは忘れられる墓、この墓に限らず大体の人は、結局いずれ忘れられるのに生まれて死んでいく、どうして人間はわざわざ人生なんてものを送るのだろう。」
といった文章があった気がする。この小説の中でこの話が出てくる舞台設定も満月の夜だった。なんとなく思い出したのは満月のせいかも知れない。