人生の楽しみ(廉価版)

生きていてなにが楽しいのかというと、それは予期しない偶然が楽しい。この偶然が以前あったので書いてみる。
昼下がりに珈琲を飲もうと思い準備をしてから、いざ勝負とドリップに没頭していた。しかし折悪く電話がかかって来た。このとき普段では絶対にしない蒸らしの工程で手を離し電話をとった。電話を取りながら豆を見ていると石炭のぼた山みたいな膨らみを保ったまま独りでに蒸らされていた。電話は間違い電話で、20〜30秒の間であったが、何を話したのかよく覚えてはいない。しかし少し先の膨らんだ豆を蒸らし過ぎて失敗だと思いながら応答そっちのけで見つめていたことは鮮明に覚えている。電話を切った瞬間に作業に戻り、蒸らし過ぎたので極力サッと淹れてみた。するとこれが濃いけれどもくどくない感じで、なんとも不安定なバランスだが、味として成立していて驚いた。恐らく蒸らしと抽出のタイミングが今までよりも巧くいったのだろう。うーん、世の中不思議だ。
しかし、この偶然も結果を作り出す場があってこそ偶然が活きたわけだから、場を形成して自力でやろうという意志を持ちつつ、時々他力本願があって楽しいということだろう。